fearfully & wonderfully made

EXO KAIくんの背中を追いかける。Twitter/Youtube:@__sdn_88 無断転載禁止

Esquire 2017年2月号 KAI カイ 日本語訳

その名前が開くという文字を中国式で読むのだという話、本名がキムジョンインだという話、ファンたちが彼がとてもセクシーで自身も知らないうちに「オッパ」みたいになっているから、年齢を問わず「ジョンインオッパ」という固有名詞で呼ばれるのだという話は、単なる知識のようだった。だからそれは感じることではなく、知るという類のこと。挨拶する前に押された呼び鈴のようなもの。だがカイの定められた運はもう少し遠くにあるのではないか?それがちょっと抽象的だとしても近くで探ることではないのではないか?ともかく私達はある時代を貫通しているのだから。カメラの前で踊るように動くカイを見ながら考えた。24歳のカイはどこまで行きたいのだろうか?


「踊るときですか?」まず踊るときも面白く楽しく、無意識なようにそうでないように踊ります。無意識ではないけど無意識であるかのように踊っているみたいです。ジャンルは問いません。幼い頃から踊るジャンルが多様で一つのジャンルだけ踊るよりも必要な時に必要なジャンルを引き出して使うようです。


どんなときも音楽がなくても大丈夫だ。ヘッドホンを外してカイが踊る場面だけ見ても音楽のようだ。ダンス?バラード?速かったり遅かったりするビート?どんな雰囲気?そんなことは重要でないようだった。もしかしてカイは林の中で風だけが吹いても踊るのではないか?木の葉が揺れたり葉同士が当たって「スススス」といった音でも。素足で乾いた木の葉の上で踊りながら、聞こえる音にまた身体が反応するのではないか?そのように一度始めたら止まることのないように、魔法にかかった靴を履いているみたいに。大勢がそのように踊ると約束して踊るダンスとは違って、自分もどうしようもなく体が動くから描くこととなった模様としてのダンス。もしやそれがカイなのか?時々舞台の上で似た感じを受けることもあると、カイが何でもないように言った。


「舞台に関しては満足することが簡単でないです。よくできたときとできなかったときを分けてみる、そんな日もあります。とても集中し過ぎて、ピリピリする感覚があります。そんなとき真空状態みたいで、舞台に自分だけがいるみたいで、特に一人で舞台で踊るときは細胞一つ一つが生きて動いている感じがするときもあります。本当にコンディションがいいとき。反対に本当にコンディションがよくないときもそんな感じがします。辛いのに、辛いから感覚がより鋭くなるんです」


低い声。どこを掻いても出る音は違うが明らかに地を踏んでいる音。かたく地を踏んでいるから、またはいつでも飛び上がることができるという自信があるような話し方、手にしたいものは何もなく、家に練習室一部屋さえあればいいと考えたことがあると笑いながら言う24歳。こんなとき1年に1歳ずつみんな同じようにとっていく歳に、どんな必要があるか?どんな人も誰かが一生注ぐ集中力をまだ10歳になる前からたゆまず注ぎ込んだ。そんな人たちの成功が年齢に対して到達していると認める人もいるだろう。場合によって少し行き過ぎだと感じる人も、何も知らないからできる話だ。カイが初めて踊り始めたのは小学校3年生の時だ。


「本当にぼんやりと覚えています。ジャズダンススクールに行きました。父と後ろに座って見ていたところまでは覚えています。でも僕がその日はじめから踊ったと言うのです。その日以降雨が降っても雪が降っても通ったそうです。学院に毎日行ったそうです。そしてバレエを習いながら本当に幸せでした。そのときダンスを愛すようになったみたいです。」


小学生のキムジョンインの体が反応して経験したが今は思い出せない瞬間と、EXOカイとして終えて降りた舞台が思い出せない程度の没入の間に、どんな差があるだろうか?カイは実はそのときから自分だけの舞台を楽しんでいたのではないか?そのときそうだったように今もダンスを踊り歌を歌っているのではないか?ダンスを好きだった子供がSMエンターテインメントの練習生になってまたEXOになる時間は回想するようにただ速く流れていったのか?私達が歓呼した瞬間の後ろに「ジョンインオッパ」だけが知る時間の重みを誰が見当することができるか?


「ダンスは食事でしょう。振り返ってみると無我夢中です。踊って歌うことはとても日常的で、してきたことだから不足しているという考えはしません。でも人生全体については不足していると考えます。それ以外には出来ることがないから」


カイを前にして浮かび上がった数多くの問いは結局この言葉の前にすべて消え去ってなくなった。平凡だけれど守るのが難しい言葉、集中的に経験して成功した人だけが言える言葉。または停滞しないようにいつもかえり見ながら努力する人の言葉だ。カイはこのようにも言った。


「満足するとそこで止まるようです。練習生のときから停滞を感じる時がすごく多かったです。本当に伸びないとき。でもそれを乗り切ってただ答えもなく練習しているといつのまにか伸びていました。なぜこのダンスが踊れないんだ?と他のダンスで歩んで、そのダンスをまた踊ってみたらすごく簡単に踊れました。そんなことがあったんです。答えもなく練習したらできるんです。答えもなく極めればできるんです」


最近も日課がない日は練習と練習の連続だ。歌をもっと上手くなりたくて、最近はMiguelのDiamondを練習中だ。Travis Garlandがカバーした曲を手本に歌っている。

 

「たぶん先生たちは僕がとても面倒だと思います。本当に面倒だと言うようです。教えなきゃいけないから」

 

だからEXOファンクラブEXO-Lの中でもカイを愛するファンたちの心はすっかり彼と共鳴している。24回目の誕生日、1月14日にもファンたちは一緒に送る一日を予定した。


「ファンたちと会うのは好きです。僕のファンは僕に少し似ているようです。感受性が強く、そんな面が多いようです。とてもありがたいことです。幸せです。幸せだからすべてそうなるようです」

他の人がみんな称賛しても自分がだめならだめだ。アジアと世界を行き来する才能に取り囲まれていながら他の誰かからの刺激は感じもしない。ただなにかが詰まったとき、停滞しているとき、アイディアが浮かばないとき自分自身に腹が立つ。予想できない規模でむき出しな人生を生きながら、他のことは知らないけれど幸せだけは重要だと言うカイはしっかりしている。

 

「幸せ自体が人生を生きて行く喜びで原動力じゃないですか。それを得たことは世界をすべて得たのと違いがないようです」

 

このようにいうことができる人の目は揺るがない。動いたり隠れることもない。ただそのままにひかれた直線で、突き破る勢いで強くも無害なエナジーだ。成熟は年齢を避けていき、超越して見つけてきた贈り物のように、カイの時間は焦ることなく流れる。このように光るまま、ひとりでも真っ直ぐに。